惑わせる、キミとボクとのキョリ。

ぐいっと一気に流し込んだ炭酸が喉の奥で弾ける。
肌に感じる風は日中の茹だるような暑さからは考えられないほど心地良い。
今日も一日お疲れさん。
自身の身体に労いの言葉を投げかけ、将臣はケータイを覗き込んだ。

珍しいヤツから着信じゃねーか。

どうせ大した用事じゃないだろう、と楽観しながら暢気な声で連絡を入れた。
返答は『早く帰って来い』
それ以上もそれ以下も言わず、一方的に連絡は途切れた。
耳元からは小さな機械音が繰り返し流れる。

大した用事じゃなきゃアイツが俺に連絡なんてするわけねーか。

先程と正反対のことを呟き、ケータイ越しに相手の機嫌が悪いことを感じ取った将臣は夜の帰途を急いだ。

有川家の玄関を開けると、目の前にすでにお出迎えの準備が整っていた。
『おう、ただいま!』
片手をひょいと挙げて笑うと呆れたような溜め息が漏れる。
『まったく……これだから兄さんは…!』
電話の相手も出迎えの相手も我が弟君、譲であった。
相変わらず機嫌が悪そうな譲……その理由はすぐにわかった。

リビングのソファにもたれ掛かりながら少女は深い眠りに落ちていた。

『望美……?』
『先輩…兄さんが来るのをずっと待っていたんだよ……』
『は?』

まだ状況が飲み込めていないのか頭上に疑問符を浮かべる兄に譲はさらに盛大に溜め息をついた。

『責任ぐらい自分で取ってくれよ、俺は先に休むから』

二人きり、シンと静まり返ったリビング。
香ばしい香り、色鮮やかな盛り付け、口を満足させてくれそうな料理の数々。
熱がすっかり奪われたそれらは、二人が自分を待ちわびていた時間の長さを物語っていた。
将臣はソファで眠る望美の隣りにそっと腰掛けた。


忘れるだろう、普通。
一つ大きくなったところでもう嬉しさも感じねぇんだぞ。

忘れるだろう、普通。
両親は揃って旅行だし、弟はあんな石頭だし。


『忘れるだろう……自分の誕生日なんて』


真っ白な天井を仰いで将臣はぼそりと呟いた。


将臣は眠り姫の顔をそっと覗き込んだ。
すると、その瞬間に将臣の身体の重心がずれ、ソファがギシッと軋む。
「ん……」と小さく声を漏らし寝返りをうつ望美。
起こしたか?と思ったのも束の間、肩にこてんっと頭を預ける望美。
腕をさらさらと柔らかい髪の毛が掠める。
いつの間にか触れ合った手を無意識に繋げば、それに応えるかのようにぎゅっと握り返してくる。
将臣はふぅと息を吐き出すと、自身もゆっくりと目を閉じた。


自分ではなく他人が覚えている誕生日なんて意味がない。
そうは思っていても、毎年嬉しそうに祝う幼馴染みの姿を見ては満更でもない気持ちになる。
もしかしたら、誕生日は自分ではなく他人が覚えているから意味があるのかもしれない。
ただの「オマツリゴト」として騒ぐだけではない。
この日はその人が生まれてきたことに感謝する日であるから。
同じ時代に生まれ、巡り会うことのできた運命に感謝する日であるから。


『サンキュ。』


今こうして隣りで温もりを感じられる今に感謝する日であるから。


『ん……』
『起こしちまったか?』
ぼんやりと目を開けた少女がとろんとした瞳で見つめる。

『ま…さおみ…く……あれ…私寝ちゃった…?』
『爆睡。』

笑ってぽんっと頭を撫でると、記憶が蘇ったかのように望美は言葉を捲くし立てた。

『な!だって、こんなにバイトが遅いとは思わなかったんだもん。もっと早いのかと思って譲くんと一緒  にご馳走用意して待ってたのになかなか帰って来な……あっ!!』

永遠に続くかと思われた言葉攻めは意外と早く撤退。

『将臣くん!あと二分しかないよ!!』

将臣の肩越し、望美の目は刻々と進む針を捕らえた。

『待って、まだプレゼント渡してな……』

焦って視線を泳がせながらソファから立ち上がろうとする少女の腕がやんわりと引き戻された。
繋がれた手とは反対の腕に頭をそっと抱き込まれ、一気に距離が近づく。


『望美』


何が起こったのか…一瞬わからなかった。
だが、目の前の幼馴染みの顔と次第に距離が出来るにしたがって、その一瞬がどれだけの距離だったのかを知る。

幼馴染みとの距離、0センチ。

かぁっと熱くなる頬もそのままに、再び距離を縮めてくる将臣。

『ま、将臣くん……』
『プレゼント、これで十分だ』
『えっと…あの…』
『望美…あと一分……』

耳元で低く囁く声に身体がビクリと震える。
もう視線さえ合わせることもできず、望美は将臣の耳元に唇を寄せた。


『将臣くん、誕生日おめでとう』

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君が僕の答えだから。

『葦原さん、また新学期ね!』
『うん、バイバイ!!』

賑やかな教室から一人ひとり足早に姿を消していく。
そんなクラスメイトたちの姿を見送りながら千尋はカバンに荷物をつめる。
明日からこの教室とも暫しのお別れだ。

「またね」

一学期間お世話になった机にそう語りかけるようにそっと触れ帰ろうとしたその時。

あれ?

一緒に帰るはずの少年が教室にいないことに気づく。
それどころか、いつの間にか教室に残っていたのは自分一人だけだった。
一緒に帰ろうと約束した覚えはないが、まさか千尋を残して黙って帰るなんて……
きょろきょろと辺りを見回しながら千尋は廊下の方へと足を進めた。

『那岐……那岐?なーぎー!!』

『そんな大きな声で何回も呼ばなくても聞こえてるよ』

突然の背後からの声にびくっと肩を揺らす。
後ろをそっと振り向けばかったるそうに廊下に立ち尽くす那岐の姿がそこにはあった。

『那岐……先に帰っちゃったのかと思ったよ』
『先に帰れば良かった?』
『もー、どうしてそんな意地悪言うの!』
『別に…僕はただ日誌を職員室に置いてきただけ』
『あ、そうだったの?』

「ごめんね」とさり気なく上目遣いに謝るものだから那岐も何も言えず溜め息をついた。

『早くしないと本当に置いていくよ』
『えっ!ちょっと待ってよ!!』

千尋は急いでカバンを手にし、さらりと揺れる金の髪を追いかけた。

『明日から夏休みだね。今年もまた三人でどこか行こうね!』

自宅への帰り道、那岐の三歩前を歩く千尋の足取りは軽い。
明日からの楽しい予定で千尋の頭の中はいっぱいのようだ。

『どこがいいかなぁ〜海も良いし山も良いし…お祭りも良いよね!花火大会とか!』
『海は暑い、山は虫がいる、祭りは人が多い』

さらりと千尋の計画を打ち崩す那岐。

『那岐、可愛くない!……でも私わかってるから』
『は?』
『だって、那岐は何だかんだ言っても一緒に行ってくれるでしょ?』

くるりと振り向いたその顔は、夏の太陽よりも眩しい笑顔だった。


その顔は卑怯だよ。

僕の名前を呼ばれたら…逆らえるはずなんてないじゃないか。


『それは千尋たちが半ば強引に話を進めた結果だろ』

こういうときの千尋と風早の団結力と言ったら目を瞠るものがある。
連係プレイというのだろうか、あっという間に丸め込まれ、那岐は溜め息をつきながら仕方なく着いていくのだ。

『那岐は何だかんだ言って千尋には甘いですからね』

ある時、風早にそう言われたことがあった。
『それはあんたの方だろ』と言い返してやったが、あながち嘘ではない。


別に好き好んで千尋の言葉に従っているわけではない。

ただ……別に嫌いなわけでもないだけの話。


『まぁ、千尋がちゃんと宿題を早めに終わしたら考えてあげるよ』
『那岐……何だか風早みたいだよ』
『夏休み終盤ギリギリになって慌てふためく小学生みたいなのは誰だ?そして、そのとばっちりを受けるのは誰だ?』
『うっ…わかってるよ。今年は補修もないし、大丈夫!』
『頼もしいお言葉だね。有言実行で頼むよ』
『うん、じゃぁ家に帰ったら早速風早と計画立てようっと!』

金の髪の毛がゆらゆらと揺れる。
僕はどこまでこの太陽の傍にいられるかな。
もし、僕の力が君を守ってあげられるのならこの命さえ捧げても良い。
だから、そのときが来るまで……
君が僕の名を呼んで笑いかけてくれる限り

僕は手を伸ばし続けるよ。

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ある日、ある時、ある場所で、こんな夏の過ごし方。

天鳥船、堅庭。

雲ひとつない青空が眼前に広がる。
降り注ぐ太陽の光は輝き、千尋は手で陰りを作りながらその眩しさを眺めた。
夏らしい暑さを全身で感じながらも、さぁっとふく風が肌を撫で上げ涼しい。

今日は良い天気だ。

この絶好のお出かけ日和を逃す手はない、と千尋は早速提案した。
ところが

『僕は遠慮させてもらうよ。暑いときに暑いところへ行くなんてダルい』

開口一番、千尋の提案は即刻却下された。

いいじゃない、たまにはどこかに行こうよ!
だったら僕じゃなくて誰か他のヤツを誘えばいいだろ。
那岐冷たいよ!

平行線を辿ったままの会話。
そんな不毛のやり取りを続けている二人のところにひょっこりと顔を出した人物がいた。

『お、姫さんと那岐じゃねーか。こんなところで何してるんだ?』

よっと手を挙げた青年が堅庭の入り口から千尋たちを覗いていた。

『あ、ちょうどイイのが来た。』

那岐の呟きにも気がつかず、千尋は青年にわっと走り寄って行った。

『おっと!どーしたんだよ姫さん?』
『サザキー、那岐が冷たいんだよっ!』

千尋の言い分にうんうんと首を縦に振りながら、サザキは千尋の頭をそっと撫でた。

『よしよし、じゃぁ姫さん、オレと一緒に空中遊泳にでも行きますか!』
『え、ホントに!?行きたい!!』

千尋が両手を合わせて喜ぶ姿にサザキはまた千尋の頭をぽんと撫でた。
その会話を聞いていた那岐は溜め息ひとつついて言った。

『それじゃ、うちのお姫様のこと頼んだよ。僕は昼寝でもしてくるから』

ひらひらと手を振ってその場を離れようとする那岐。
だが、その歩みは肩を掴まれた腕によって制せられた。

『おいおい、だーれが帰すなんて言った?』
『は?』
『よーし、一番手は那岐で決まりだな!』
『はぁ?』

突発的なモノの言い様に眉根をひそめる那岐。
『千尋……』
那岐は千尋の顔をじろりと見やる。
だが、当の本人はいたって楽しそうににこにこと笑うだけだった。
『だって、中に籠りっきりは身体に良くないし』
『あのさぁ……』

呆れ果てる那岐に有無を言わさず、サザキはその細い身体を抱き上げた。
『なっ!!』

『おい、離せって!』
『オレだって野郎を抱いて飛ぶのはごめんだ』
『なら今すぐ離せ!』
『でもなぁ〜姫さんからのお願いじゃー聞かないわけにはいかねーのよ!』
『王様命令かよ』

じたばたとサザキの腕の中でもがく那岐はそのままに、サザキは千尋に言った。

『じゃぁ姫さん、ちょっとばかり行って来るぜ!戻ってきたらすぐに姫さんと……な?』

『那岐、おまえもしっかりつかまってないと振り落とすぞ?んじゃ、行くぜ!!』
『ちょっ……ホントに待てっ……』

バサッと大きな羽音が耳に響く。
大空に羽ばたくその姿を眺めつつ、千尋は今の平安ににっこりと微笑んだ。

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翼を持つモノ

城の中から覗く、橙色に輝く空。
その色を背に飛んでいく鳥たちを千尋はゆっくりと眺めていた。
自由に羽ばたいていく鳥。
それを見るたびに思いを馳せる。
自分の選択は間違っていなかったんだ、どこかで彼が生きてさえいればいいと。
後悔なんてしない、したくない。
それでも…これほどまでに胸が苦しくなるのはなぜだろう……。
願ってしまうのは…なぜだろう……。

『会いたいよ……サザキっ……』

『千尋。』

そんなはずはない、そう思った。

『ひでぇなぁ〜もうオレの声を忘れちまったのかい?』

羽に扇がれ、室内に一陣の風が吹いた。

『…どうして……』

『どうしてって…そんなの決まってんじゃねーか』


『さらいに来たぜ、オレの姫さん』


力強い羽音、名を呼ぶ声、柔らかな匂い、抱き締められた身体から伝わる温もり。
全て千尋が愛した…紛れもないサザキのもの。
千尋はサザキの羽に優しく触れた。
日向の誇りはまだしっかりとそこにあり、堂々とした力を放っていた。

『姫さんが…守ってくれたんだもんな』
『だって…これがなくなったらサザキはサザキでなくなってしまうもの』

そして、その翼を見るたびに思った。
自分にも翼があればいいのにと。
そうすればいつだって……

『サザキのところへ飛んで行けるでしょ…たとえどんなに遠く離れていても』
『姫さん……』

『ま、今から羽を生やすのはちょっと難しいかもしんねーけどなー……でもそう心配すんなって』

ふわっ。

『これからはオレが千尋を抱いて飛んでやる、どこへだって』

もう、離れることはきっとないから。

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やさしいキスをして

ギリッ。

『い、痛い…よ……一く……』
『うるせぇっ!!!!』

ギリッ。

一に押さえつけられ、掴まれた両手首が悲鳴を上げる。
背中に感じる冷たい壁の感触が、もうどこにも逃げられないという緊張感を悠里に与えた。

早すぎたんだ。

悠里は激しく後悔した。

一が抱えている傷、今はそれが癒えるには十分すぎる時間ではなかった。
それなのにその傷を抉るように土足で彼の心に入り込んだのは自分自身。
一くんのことをもっと知りたかった。
ただそれだけだったのに。
自分は何て残酷なことをしたのだろう……。

悠里は顔を上げ、一の顔をじっと見つめた。
激しい怒り、獣のような瞳。恐くないと言ったら嘘になる。

だけど

その瞳の奥には怒りとは違う、もう一つの一の気持ちがあるように見えた。

クルシイ。

ツライ。

そう心が叫んでいる。
一はずっと一人で全てを抱え込んでいた……たった一人で……。

悠里の瞳からは自然と涙が零れていた。

『せ…んせ……』

ハッとしたように一が呟いた。

『うっ……』
『ご、ごめっ……い、痛かったよ…な……』

一が悠里の手首から力を抜く。
解放された手首は痛々しいほどに赤く色づいていた。

『先生……ごめん……』

ずるりと力が抜けたように一の腕が下に垂れる。
悠里は首をふるふると左右に振った。
一が感じている痛みはこんなモノとは比べ物にならないだろう。
そう思うと悠里は涙が止まらなかった。

悠里はそっと一の頭を撫でた。
一は何も言わなかった。
悠里も黙って優しく撫で続けた。

『先生……』

一がそっと悠里を抱き締める。
優しさや温もりに縋るように……

『せんせっ……』

ゆっくりと重なりあった唇、それは

荒々しさも激しさもない優しいキスだった。

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